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1 件中、 1 件目
ガイドがつづった石見銀山物語
貸出可
長尾 英明/著 -- 山陰中央新報社 -- 2022.2 -- 095.6A
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所蔵館
所蔵場所
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資料コード
資料区分
帯出区分
状態
館内
郷土
郷貸出/562.1/ナ22/
916961904
郷土
利用可
館内
郷土
/095.6A/561/
916961889
郷土
禁帯
館内
地下書庫
/095.6A/561/
916961898
郷土
禁帯
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資料詳細
タイトル
ガイドがつづった石見銀山物語
書名カナ
ガイド ガ ツズッタ イワミ ギンザン モノガタリ
副書名
ちょっとおさらい編
著者
長尾 英明
/著
著者カナ
ナガオ,ヒデアキ
出版者
山陰中央新報社
出版年
2022.2
ページ数
240p
大きさ
21cm
一般件名
石見銀山
NDC分類
095.6A
内容紹介
鉱山町の暮らし、主な間歩や井戸平左衛門などについて、解明されている史実を振り返りながら、いまだに謎に包まれている点について想像を交えながらつづる。ブログ掲載を再編集し書籍化。
ISBN
4-87903-250-8
ISBN13桁
978-4-87903-250-8
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内容一覧
タイトル
著者名
ページ
佐毘売山神社のこと
p2-3
観世音菩薩の御霊光
p3-4
御霊光、どこが光っていたのか
p4-5
天池寺の観音様
p5-6
天池寺の創建とその後
p7-8
天地寺と修験
p8-9
修験と鉱山
p9-10
修験の呪文
p10-11
修験と芸能民
p12
石見銀山の修験の跡
p13-14
石見銀山周辺の真言寺院と修験
p14-16
勧進聖
p16-17
廻国聖
p17-18
大内氏の伝承
p18-19
「発見」前の領有関係
p19-21
「発見」前、結局銀は採掘されたのか
p21-23
三島清右衛門という山師
p23-26
於紅孫右衛門事件
p26-30
三島配下の山大工のその後
p30-31
なぜ御霊光をもちだしたのか
p31-32
神屋寿禎のその後
p32-34
神屋寿禎のその前
p34-35
宗丹慶寿のこと
p35-36
佐毘売山神社のこと
p36-40
なぜ石銀というのか
p40-42
小笠原氏の支配はあったのか
p42-43
足利直冬のこと
p43-44
倭寇と日朝貿易
p44-46
日明貿易と銅
p46-47
銀の需要
p47-48
南蛮貿易がもたらしたもの
p48-49
南蛮人は当地に来たのか
p50-51
大久保長安の行政能力
p51-52
人材としての大久保長安
p52-53
大久保長安の処断理由
p53-57
銀山の人口
p57-60
間歩はいくつあるのか
p60-62
間歩の掘り方
p62-64
銀はいくら産出されたのか
p65-66
龍源寺間歩はいつごろ掘られたのか
p66-68
龍源寺はどんな寺か
p68-69
龍源寺間歩の坑道
p69-71
龍源寺間歩のズリはどこにあるのか
p71-73
山師について確認しておきたいこと
p73-74
鉱山労働者の状況
p74-76
士農工商はあったか
p76-77
石見銀山の地質
p77-79
熱水鉱床
p80-81
福石鉱床
p81-83
永久鉱床
p83-87
新切間歩
p88-89
蔵本坑
p88-89
御崎谷と大谷の間歩 福神山間歩、岩屋堂間歩、下惣太夫山
p91-92
甘南備坑
p92-93
谷奥の間歩群
p93-95
村上坑の風
p95-96
村上堅坑
p96-97
新横相間歩の位置
p97-99
昆布山谷の様相
p99-101
南条坑ほか
p101-103
谷奥の間歩群
p103-105
永久坑
p105-109
永久坑の今
p110-111
柑子谷の水抜き間歩
p111-112
大久保間歩のすごさ
p112-114
金生坑
p114-115
下金生坑
p116-117
釜屋間歩の所在
p117-119
本間歩の地下
p119-120
西側斜面の間歩群
p120-123
東側斜面の間歩群
p123-125
清水谷と三石谷の間歩群
p125-127
奉行と代官
p127-129
地役人
p129-130
手附・手代
p130-131
大森町の町人実態
p132-133
銀山町の地域役人
p133-135
人物
p136-137
江戸への帰省
p137-139
行動派
p139-140
領民救済措置
p140-142
サツマイモ
p142-143
死因
p144-145
伊達金三郎
p145-147
天野助次郎
p147-151
上野四郎三郎
p152-153
鍋田三郎右衛門
p153-154
武田恭作
p154-157
上野虎次郎
p157-159
城上神社の謎
p159-167
湯氏と温泉氏
p167-168
史料から見える温泉氏の姿
p167-170
温泉氏に関する驚きの事実
p170-171
温泉氏に関する見えない部分
p172-173
史料から見える湯氏
p174-176
湯氏の見えざる部分
p176-177
湯氏と亀井氏
p178-181
久利氏について
p181-183
石見の郡名の不思議
p184-185
鞆ヶ浦道の虚実
p186-187
銀山「柵の内」の指定は正しいか
p188-189
磯竹の鉛山
p189-191
江戸時代の銀の行方
p191-193
江戸時代の銀山の家族実態
p194-196
祈りの諸相
p196-197
墓
p198-199
江戸時代の鉱山作法
p199-202
江戸時代の銀山の暮らし
p203-2005
江戸時代以前の農民たち
p206-207
江戸時代の農村社会
p207-210
町と村
p210-215
刀狩と兵農分離
p215-217
貢祖制度
p217-218
石高制
p218-220
年貢の決め方
p220-221
小物成
p222-223
村請制とは
p223-224
日本人の姓名
p224-232
江の川の転向
p232-235
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